【「妙」とは法性なり。「法」とは無明なり。無明・法性一体なるを妙法と云うなり】
御義口伝の冒頭
「南無妙法蓮華経」の御義口伝です。
①【妙】→法性。仏界。仏の悟り
②【法】→無明。九界の衆生。無知
①と②が一体であるのを
「妙法」という!
法華経、寿量品や御義口伝により、
【誰もが本来の仏】であることが
いえます。→法性。
ありのままの民衆、衆生。→無明
しかし、
いかなる仏であろうと、
1、産まれた時点では自分たちが本来の仏であることを忘れている
↓
2、仏縁により、自分たちが本来の仏であることを、今世においては初認識
というプロセスがあります。
インドの釈迦の場合は
30歳以降で思い出し、
私たちの場合は
信心に出会い、御義口伝を学ぶことで知り得る。
だからこそ、
やはりどこまでいっても
「無明法性一体」であり、
永遠に無明や無知や煩悩との闘いなのです。
今世でよく勉強しても、
来世産まれた時点では、
いったん、一応、
記憶はリセットされてるはずなので、
楽しく再勉強です!
永遠に闘い続け、永遠に前進しぬくことは
永遠に決まっております!
さあ!
今日もまた、明日もまた、
決めて祈って前進です!
題目をあげて、
学会歌を口ずさみ、
楽しく自分らしく、
ありのままの
創価の私たち
SGI(^〇^)
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